今日は木曜で自分のクリニックは定休日でしたので,久しぶりに宮城野分院にお邪魔し,関係者と話をしてきました。なんとも言えない不思議な感慨を覚えました。
私は2010年から2012年までの3年間, 宮城野分院で内科医,呼吸器科医として勤務しておりました。
標準以上の医療レベルを維持し,地域住民からの信頼も厚く,職員たちも楽しそうに働く良い病院で(おまけに黒字!!!),そこで働いた期間は私にとってかなり有意義な3年間でした。3年間のちょうど真ん中の年のある日,関係者の運命を左右する災害が発生します。
2011年3月11日14:46
東日本大震災 発生
東日本大震災 発生
当日私は宮城野分院の4Fの医局にいました。分院長の秘書さんも偶然近くにいました。とてもじゃないが立っていられない地震の揺れの中で,壁につかまり,ソファーにしがみつき,事態が尋常ではないことを感じました。
揺れがひととおりおさまった後,職員全員で2Fから5Fの4つの病棟の患者さんたち全員をいったん屋外に緊急避難させる作業に終始しました。無我夢中でした。
患者さんの移送が一段落した時,3月であるにもかかわらず空から雪が降ってきました。
「これがこの世の終わりなのか」,「私はこの世の終わりを体験することになるのか」と,その時感じたことを覚えております。
震災による建物のダメージは半端ではなく,経営の事情から宮城野分院の閉院が後に決定となります。
私の座右の銘の1つである「最も強い者が 生き残るのではなく,最も賢い者が 生き延びるのでもない。唯一 生き残るのは変化できる者である。」というフレーズはチャールズ・ダーウィンの言葉ですが,東日本大震災後の私の心の支えとなっています。
東日本大震災がなければ,私は宮城野分院でずっと働いていたかもしれません。
東日本大震災がなければ,私は自らのクリニック開業を決心しなかったかもしれません。
「過去を生かす」,「(経験した)偶然を生かす」,「今日に生かす」,「未来に生かす」という気持ちで毎日すごしています。
先日,宮城野分院の医局関係者が集まる機会がありました。
宮城野分院という建物が壊され土地は更地になったとしても,今後とも定期的にみんなで集まろうという話になりました。
良い職場で働くことができて本当に良かったと思います。